見込んだ人材をリーダーに育てる
警察庁の官僚として順調に昇進を重ねてきた40代の男性が、松下電器に勤務していた元先輩官僚から「人事の専門家が不足して困っている。私と一緒に働かないか」と誘われます。
「松下幸之助は部下思いの人である」という評判を耳にしていたこともあって、昭和36年に松下への転職を決意しました。
それから2年半後、人事本部の部長として仕事に打ち込んでいたある日、幸之助に呼び出されます。そして、「きみ、人事の専門家になりたいのならそれもよいが、そもそもウチは物をつくって売ることをする会社。やる気があるのなら、ゼロから出直して、苦労してみる気はないか」と言われました。
人事部長は、松下電器の発展に貢献することが自分の努めであると考えていたので、「人事以外の仕事もやります」と返答します。すると、年明けの昭和39年1月、モーター事業部に、工場の管理をする第二製造部長として、異動することになりました。
部長は幸之助に呼ばれ、「本社の人事の部長が現場の製造部長に回されたとなれば、心ない者は、きみが何か悪いことでもしたのと違うか、と言うかもしれんが、そんなことは気にするな」と励まされます。そして、「机を事務所に置いたらあかん。工場の中に持っていくんやで」とだけ、アドバイスを受けました。
指示通りに机を工場の片隅に置くと、モーターの知識がないので、子供の物理の教科書で勉強に取り掛かります。ところが、午前8時から午後5時まで、騒音と慌だしさで、デスクワークどころではありません。
作業状況を見回る、品質問題に対処する、他事業部やグループ会社にモーターの売り込みをかけるなど、未経験の仕事に追い立てられる日々。工具を持って生産ラインの作業に入ってみたら、ベルトコンベアのスピードについていけず、周囲の従業員から迷惑がられることもありました。
無我夢中で頑張っているうちにおのずと、お客に対しては頭が90度下がるようになり、現場の従業員に対しては、やる気をもたらす言葉をかけてあげることができるようになります。
1年半が過ぎたころ、またも幸之助に呼ばれました。「工場のことは分かったか」と聞かれ、「おおよそ理解できるようになりました」と返事をしたところ、モーターの取引先でもあったグループ製造会社に常務として出向します。
モーター工場での現場経験を生かして同社でもリーダーシップを発揮。
昭和49年、社長に任命され、石油危機後の困難に立ち向かいました。その力の原点は、幸之助から机を工場内に移すよう指示されたことにあると、後年振り返っています。
PHP 7月号から一部加除転載しています
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本号の担当は 税理士 竹村 でした。